感情の変化

今 だから


ある方から、訳もなく勝手に決めつけられて困っているというお話を聞き思い出したことがあります。


もう何十年も前、私が新人の頃の事です。
ここ岩手県で国民文化祭が開催される事になり、数年前から準備が始まりました。当時私は書道協会の事務局員をしていましたので、国民文化祭のお手伝いを依頼されました。

仕事終わりに県庁に出向き、こつこつと地道な作業をして作品の名票を1人で仕上げたり、事務局のサポートとしていろいろなことに携わりお勉強させていただきました。

そんな中、私は事務局の最終作業をしに県庁に出向いていました。
やっと展示会場に戻って一息ついていると、突然「今までどこにいて、何をしていたのだ!サボるなんでけしからん。」とある方に言われたのです。学生時代から私を知っているその方は展示会場にいない私をサボっていると決めつけていました。どう説明しようとも聞き入れず、何十分にも渡りお説教されました。

文化祭を成功させようと、この数年間休みも返上して頑張ってきた気持ちが、プツンと途切れて涙が溢れてきました。


後に事情を知って事務局長さんからお電話をいただき「あなたの慰労会をみなさんでしようと準備していた。」と言われましたが、とても参加できる状態ではありませんでした。

当時は話を聞き入れてもらえない・一生懸命取り組んでいた自分を否定されたようでとても悲しかったことを思い出したのです。


今振り返ってみると、
悲しさよりも事実と違う事への悔しさや怒りが湧いてきます。何も知らずに勝手に決めつけて、良い加減にして欲しいという思い。と同時にもうどう思われてもいい。私は仕事に誇りを持って誠心誠意やったのだから。という諦めの気持ちがあります。


今回思い出したこの思い。
当時の私はまだ泣いています。心ない言葉に傷ついて、立ち上がる気力も無くしています。置き去りにしたまま今になってしまいました。

その時の気持ちをしっかり聞いていこうと思います。今なら受け止めることができると思うのです。新人の頃に大事にしてた事も。
そしてまた、今沸き上がってくるいろいろな思いも受け止めていきます。

それぞれを感じている自分がいるということ。どちらも自分です。今それを気づくために、この話を聞いたのだと思います。

このタイミングを逃さず、ケアしていくということです。


実家に咲く福寿草
実家に咲く福寿草