おつかい

見守る

ドラッグストアに買い物に行った時のことです。そこに千円札を握りしめた小学3年生位の女の子が入ってきました。緊張した面持ちで一直線に歩いて行きます。目的の品を持ってお会計を済ませ、品物とお釣りをバッグにしまいました。晴れやかな笑顔になった女の子は自転車に乗って颯爽と帰って行きました。
おつかいに来たのですね。気をつけて帰ってね!とその後ろ姿を見送りました。

思い出すと、私は子どもたちにおつかいを頼んだことがあまりありません。せっかちな性分のせいか、何事も先回りして自分がやってしまいました。心配だから…時間がないから…間違ったら困るから…そんな思いがありました。

子どもの可能性の芽を摘んでしまっていたのです。つまずいたり、失敗したり、やり直ししながら経験を積んで体得していくその機会を奪っていた事に気づいたのは最近のことです。
スムーズに進むことこそが良いことなのだと、目の前の障害物を必死で取り除いていたわけです。今思うと滑稽ですが、当時は子どものためになるならと必死でした。全くもってパターン全開…
これはただ自分が、困っている子どもの姿を見るのが辛いから。時間がかかるとイライラして待てないから。何度もやり直す姿を見るとハラハラするから。それは子どものためではなく自分がそんな思いをしたくないためだったのです。気づいていなかったとはいえ、おつかいに限らず何でも自分が手をかけてしまう、そんな子育てをしていました。たくさんあったせっかくのチャンスを奪ってしまい、ただただ反省です。

今は少し離れたところから、見守るようになりました。多くの経験が成長への機会となることを知っています。自ら気づいたことは、教えられたことよりも深く刻まれます。
ゆったりとした心持ちで、それぞれが持つ力を信じて寄り添っていきます。